スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

江利川春雄 - 「英語と日本軍 - 知られざる外国語教育史」 (2016)

著者:江利川春雄 Erikawa Haruo
タイトル: 「英語と日本軍 - 知られざる外国語教育史
発行: 2016 (NHK Books 1238)

日本では近年、ネットユーザーを中心に海外のニュースを確認する必要性が唱えられている。それは既存のメディアへの不信感もあるだろうし、それ以上に単純な話として、海外の情報を素早く収集するには、日本語化を待っていられないということもあるだろう。
とすると基本的には英語のニュースサイトを当たるわけだが、すぐに出来るというわけではない(BBC等には日本版があるが)。現在、日本では中学校で三年、高校で三年、英語の授業が実施されているのにも関わらず。
聞くところによると、更に小学校での英語の授業も開始される可能性があるとかないとかで、もし本当にそうなれば教員の対応はどうなるのだろう、とか他の授業はどうなるのだろうと思ってしまう。本当に国にその準備ができているのだろうか。
僕の外国語勉強はあくまで趣味の範囲だが(英語なんて受験以来忘れていく一方ではあるし)、現実的な語学教育について考えるためにも、まずは日本の語学教育の歴史について知ることも肝心だ。

とはいっても本書では、一般の学校関係者の証言ではなく、明治維新から第二次世界大戦までの、特に陸軍海軍の教育を中心にその流れを追う。内容は豊富な資料に裏付けられており、多くの人に新しい印象を提供するだろう。個人的にそれは、意外に日本の教育は進んでいたんだな、というもので、その進歩を自ら捨て去ってしまったような過去からは色々と思うところがあった。

↓以下追記。

現代において外国語を学ぶ意義、意味を考え始めるとキリがないが、個人レベルでの言い分を考えれば、情報収集の幅を広げるということになると思う。海外のソースに当たるだけでなく、海外の解釈も取り入れること。それであれば、イタリア語だろうが、ラテン語だろうが好みと必要(たとえば芸術方面の知識を得たいだとか)で自由に選んでいいのだろうけれど、国の教育方針としてある外国語を教えているのは、そこに戦略的な意義があったからだ。

鎖国の中にあって貿易を続けていたオランダは言うに及ばず、フランス、イギリス、アメリカ、ドイツ。
日本の近代化は、西洋化であり、これらの国のエッセンスをどう取り入れ、吸収していくかということだったので、その過程でこれらの国の言語を学ぶ必要性が同時にうまれた。

しかし模範とすべき対象をどう選ぶかについてはもちろん先例がなかったために混乱が生じた。改めて明治維新前後からの諸外国語教育を振り返ると、意外にもすでにかなり熱心な教育を行っていた時期が存在し、また日本人、またはネイティブの、優れた教師も教壇に立っていたが、その言語の選択は軍事的重要性に強く影響を受け、後退したり前進したりもしていたことがわかる。
それが正確かつ迅速に判断されていればよかったのだが、実際のところ、軍内部の派閥争いというべきものに繋がった。


たしかに、フランス語・ドイツ語・ロシア語の選定は、西洋の軍事先進国から学び、日露戦争を戦った明治期までは有効だった。しかし、語学の固定化・派閥化は世界情勢の変化に応じた柔軟な語学教育を困難にし、アジアや太平洋地域においてアメリカやイギリスの勢力が拡大し、英語の重要性が増すにつれて、問題を露わにしていくことになるのである

陸軍は幼年学校の独自性を強調し、これを存続させる根拠として中学校では履修できないドイツ語・フランス語・ロシア語などの軍事的重要性と、年少時より語学学習を開始するメリットを挙げた

しかし、すでに第一次世界大戦でドイツは敗戦国となり、フランスは往年の陸軍大国ではなくなり、帝政ロシアは社会主義革命で倒れていた。一方、戦勝国のアメリカの台頭は著しかった。そうした世界情勢の変化に対応する形で、幼年学校の外国語教育を転換しようとする動きはここには見られない。むしろ、組織防衛のために英語教育導入の道を自ら閉ざそうとする陸軍の姿が透けて見えてくる。結局、陸軍幼年学校は東京以外の五校が廃校となった


柔軟性の無い日本の外国語教育に対して、アメリカの日本語教育をみてみると、それは迅速かつ本格的であったとされる。
日露戦争からすでに日本を仮想敵国とみなし、日本語と国情を研究し始めており、さらに41年海軍日本語学校が授業を開始、終戦までに1250人の語学将校を養成した。なお現在日本国籍を有するドナルト・キーンもコロンビア大学で日本語を学んだのちにここに入学している。
アメリカ側の実情は本書の主なポイントではないのだが、比較するとどうにも日本側の外国語への理解の乏しさが浮彫になる。

本書であげられた主な問題点は、まずは中国語、アジア諸言語の過小評価。
陸軍の英語教育は不足し、間違いは多かったが、かといって海軍の英語教育をことさらに称賛はできないのは、英語に注力しすぎてほかの諸言語はどうだったのか、という点。
ドイツ留学組の強力な派閥(有名な話だがドイツ語組はエリート)と、英米留学組の冷遇。
受験英語化。つまり軍事的な目的ではなく平時の一般教養的な学問になってしまったこと。
戦況の悪化から教育の質の低下。特に絶対的な授業時間の減少はとても大きい。
……などいろいろとある。
現在においてもアジア軽視が残っているのなら考え直したいところ。

その一方、優れた教育の記録も多くあり、個人的にはむしろこちらに驚いた。
発信型の外国語、つまり英和、露和翻訳だけでなく、和英、和露の翻訳を多く取り上げたり、
独自の教科書を作成、軍事的な内容のない英語入試を実施、
ダイレクト・メソッド、オーラル・メソッドといった日本語を使わない授業(これは今も昔も変わらず多くの生徒にとって難しかったようだ)、
ネイティヴの教師の授業を採用したり、といったもの。

特に江本茂夫の授業は興味深い。彼は英語のみならずフランス語や、ドイツ語、中国語にも通じていた。
日本語は全然使わず、徹頭徹尾英語でやる。その英語がまた極めて流暢である。(中略)一文を二つか三つに区切って極めて早口に二三度言って聞かせ、さらに二回教師に従いて言わせて板書する。しかし生徒が一通り読み終わるとすぐ消してしまって、今一度聞かせる。そして個々の生徒に言わせる。平素耳の訓練が十分してあると見えて大概はよく言える。敬服した。
(中略)
a battleとa warはどう違うか。冠詞なきbattleはfightingと同じだ。above everything elseはparaphraseすればどうなるか。disciplineとeducationとtrainingとdrillは軍隊ではどう使い分けるか。
(中略)
少しの淀みもない

しかしこういった優れた英語教育者は、残念ながら陸軍では疎まれていたようだ。


個人的に思うこととしては、外国語教育は基本的に「その国を好きになること(共感)」をどうしても意識せざるを得ないので、そのセンシティブな点をどう扱うかということ。ある種の作法を学ばなかったものには、対象への冷徹な視点を持つことは難しい。二つ以上のものを視界にいれたときに、どちらかに肩入れせずにいられるのかどうか。
それが比較的少ない言語は、今のところ共通言語としてほぼ確立された英語だけだろうけれど、それでもアメリカやイギリスについて見方を誤る可能性があると思う。いいものはいい、悪いものは悪い、と言ってしまえば簡単だが、実際そこまで簡単に割り切れるものではない。
本書では、陸軍のエリートがドイツに肩入れしすぎて判断を誤った様子が書かれているが、よそのものが青く見えるだけならまだしも、第三の庭に要らぬ先入観までもってしまってはたまらない。

それとは別に、日本においては外国語を解する人への評価が総じて低いようで、オリンピックの通訳ボランティアの問題なども結局その延長線上であろう。プロの通訳も、たとえば重要な同時通訳においては複数の人員を短い時間で交代させながら行うというような非常に厳しい仕事だし、文章の翻訳も片手間でやっていると思われることがあるらしいが、実際のところ、現在翻訳だけで生計を立てられる人はほとんどいないと言われる。こういう方面の低評価も変わらないと改めて実感。冒頭の話と両立するはずだが、海外の情報、文化が母語で読めるということは非常に貴重なことなのだ。

国際社会の中では、外国語能力への評価と活用次第で組織の行く末は大きく変わるということをよく理解できるし、戦前、戦中の社会事情を知ることができるエピソードが多いので、外国語に興味のある人でなくともおすすめできる一冊。
スポンサーサイト
[ 2016/08/03 06:00 ] Books | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sentbyheaven.blog12.fc2.com/tb.php/90-ba3b7b67









上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。