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中野雄 - 指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語 (2011)

著者:中野雄(Nakano Takeshi)
タイトル:指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語
発行:2011(新潮選書)


指揮者とはどういう人達だろう。
クラシック音楽をふだんあまり聞かない人であっても一度くらいは思ったことがあるだろう。大げさな身振りと表情がカリカチュアの対象になっていたことは本書でも触れられているが、実際のところ指揮者は何をやっているのかどういう事を考えているのか周囲(オーケストラ団員)からどう思われているのか、それを理解するには中々の良書だと思った。

本書では、指揮者や音楽家の具体的な技術にはあまり触れられていない。つまり指揮者がこういう動きをしたらオーケストラはそこからどういう意味を読み取るのか、というような話はほとんどない。むしろ百人を超えるメンバーを束ねる指揮者とはどういう人物であるのか、オーケストラの団員は、それぞれの指揮者に対してどういう感情を抱いているのかということを、実際の発言やインタビューをもとに、時にはオフレコのネタも挟みながら、うまくまとめている。同時にコンサートマスターや、楽団の運営という点にも踏み込むので、書名通りの”指揮者の役割”のみならず、オーケストラが一般に集団としてどう動いているかを理解することも出来るのではないか。

著者は、ケンウッドなどで音楽プロデューサーを務めていたが、その前には、銀行勤務などでヨーロッパに滞在した経験を持ち、60年代のヨーロッパの生のオーケストラを実際に体験している。多くの日本人がもはや知り得ない巨匠の生の演奏を語る言葉は貴重。

以下追記↓。
そもそも指揮者とは基本的に、オーケストラの「一員」ではない。オーケストラという楽器を使って指揮者自身の理想の音を追求する、むしろ孤高の存在である。それと同時に、オーケストラは人間の集団であるので、彼らと共同の作業をしていくには、ただ孤高のままでは具合が悪い。

筆者は本書冒頭で、”巨匠(マエストロ)」と呼ばれて、その生涯を全うするには次の四つの資質が絶対に必要”とする。

1:強烈な集団統率力
2:継続的な学習能力
3:巧みな経営能力
4:天職と人生に対する執念

これを見ると、なんだ、他の分野にも当てはまるじゃないか、となる。
指揮者とは音楽のフィールドにあると特殊な存在に思えるが、むしろ一般的な「リーダー」という言葉でまずは理解出来そうである。

本書ではサブタイトルの通り、ヨーロッパの三つのオーケストラを題材に指揮者について考えていく。それは「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」「ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団」という一般に世界最高、三大オーケストラと呼ばれる集団である。しかし出てくる証言の多くはむしろ「コンサートマスター」のものが多く、そこから指揮者の実像に迫る。

指揮者を理解するためには、コンサートマスターという立場についても理解する必要があるようだ。コンサートマスターとは、オーケストラの第一バイオリンを兼ねている。つまりオーケストラ側のメンバーのリーダーである。演奏の具体的な方法論(バイオリンの弓の細かい使い方など)を各メンバーによく解釈させるのはその重要な仕事であり、またオーケストラのメンバーが指揮者に反発した時に頼るのはコンサートマスターであるし、メンバーの気持ちが入りすぎて熱くなってきた時にそれを察知して手綱を締めることもある。

一人の指揮者は一つのオーケストラといつも行動を共にするわけではなく、多くの場合、客演などで世界やその他の団体を渡り歩いているが、コンサートマスターはそうではない。彼らはそのオーケストラにおける「現場のリーダー」であり(実際に英語圏ではLeaderと呼ばれる)、コンサートマスターと上手くコミュニケーションが取れなければ、指揮者の立場は厳しい。必然的に、指揮者はコンサートマスターとどういう関係を築くか、ということが重要になる。本書で取り上げられている三大オーケストラの話には、コンサートマスターをどう選ぶか、という点が付きまとう。

コンサートマスターには、当然のことながら抜きん出た実力が求められる。それに加えて、弦楽器のみならず、管楽器のパートまでも把握する記憶力、何かがあった時に頼れるようなカリスマのある”背中”。そういったコンサートマスターを求めて、”強権の”指揮者たちは三顧の礼をもって招聘するのであった。こういった交渉能力なども指揮者に必要なことなのだ。

私の指揮するときだけ、その場所に座っていてくれればいいから」と破格の条件でシモン・ゴールドベルグを迎えたフルトヴェングラー
ある民族、ひとつの国の存在意義とは何か。……結局、文化なんです
コンセルトヘボー管弦楽団の栄光は、オランダの国の名誉であるという言い方までして、クレッバースを口説き落としたヨッフム


そして時には指揮者はそのオーケストラから学ぶ。
アマ・オケの指揮者って、常に一方通行でしょう。とにかく偉いんですよ。教えるばっかりで、実地に学ぶ機会がない。指揮者って、良いオーケストラと戦って、教えられ、育つものなんです
あの自信家で気位の高いリカルド・ムーティが、リハーサルを始める前にオーケストラに頭を下げた。”シュトラウスの音楽は、あなた方のほうがよく知っています。ですから、どうか私に教えてください”と。あのムーティにしてこの言葉でしょう。よし、皆でムーティを盛り上げてやろう、という気持ちになりました


面白いことに、ここでは多くの人がイメージする、唯我独尊で絶対権力者の指揮者というのはあまり見えてこない。本書で多くのページが割かれているカラヤンでさえ、そのような印象は周囲のやっかみに近いという風に見える。確かに晩年のカラヤンは権力を持ち過ぎたためにオーケストラと対立したが、それはむしろ団結したオーケストラの力はあのカラヤンをも困らせるものだったということだし、若い頃のカラヤンは、権力者というより、「理想主義者」として、むしろ丁寧過ぎるほど遠回りに地位を築いていったようだ。

無論、強権の指揮者というのは本書に取り上げられていないだけで結構思いつく。実力に満足できない団員を次々に首切りしたジョージ・セルなんかがそうだが(おかげさまでアメリカの組合は一致団結したそうな)、それでもヨーロッパにおいてはオーケストラのプライドというのは相当なもので、多くの指揮者が伝統あるオーケストラの反感を買って涙を呑んだとされている。


さて、オーケストラから独立した指揮者自身の能力となると、本書にもいくつか提示されているが、譜読みの確かさ聴音能力指揮の技術などがあり、人によって優れている点は異なるが、どれもそれぞれの楽団との関係性、伝達能力に関わってくる。

聴音能力は、ピエール・ブーレーズが格段に優れていると書かれている。こういった「砥石」のように自らを鍛えてくれる指揮者をオーケストラは必要とする。
すべての団員に、音楽の構造、いわば音楽の骨格を認識させる。出発点は、彼の正確無比な耳である。彼は、演奏のもっとも複雑なところでも、もっとも音量の大きいところでも、細部まで聞き取ることが出来、音程のわずかな誤りも完璧に正すことが出来る」(バレンボイム)


そして、ハイティンクのような楽団の気持ちを理解するタイプ。
彼はオーケストラでヴァイオリンを弾いていたので、楽員の気持ちをくみ取るのがうまかった。リハーサルのやり方、休憩のタイミングなど、本番以外の日常動作で楽員の反感を招く指揮者が結構多いのですが、ハイティンクに関する限り、それはほとんどありませんでした。これはコンサートマスターにとっては有り難いことなんです」(クレッバース)

そして指導者型の人間。
小澤(征爾)さんには反抗できないんです。前に立たれたら、有無を言うゆとりあらばこそ。”小澤さんの音楽”をやらされてしまう。それとバレンボイムの指揮で弾いたことがあります。そのときは、前に立たれた瞬間『もう駄目。この人の言うことを聞くしかない』と思いました


結局、指揮者に必要とされるのは自分のイメージをどういう風に伝えるか、というコミュニケーション能力であり、オーラであり、””であるが、そもそもそのイメージとはどこから出てくるのか。
フルトヴェングラーの言葉を引用する。
再現芸術家は、創作者を導いた……全体のヴィジョンを現存する細部から苦労して読み取り、それを復元せねばならぬ
(そのヴィジョンが)徐々に再び姿を見せ始めるならば、その場合――まさにその場合のみ――突如としてすべての細部が自己にふさわしい性格、自己のあるべき場所、全体に対しての正しい機能、自己の音色、自己のテンポを見出すのである


ベルリンフィルのある奏者は”いちばん困る指揮者について”、こう語る。
成り行きで振る指揮者です。曲に対するイメージを持たないで、棒を振るだけの人。その曲をどう弾いて欲しいのか、どんな音色とテンポ感が欲しいのかさっぱり分からない。われわれのオーケストラは楽曲に対して300通り、いや、500通りの引き出しを用意して、どの引き出しを開けるべきか、それぞれの指揮者の要求を待っているのです。だから、せっかくの引き出しを開けようともしない指揮者が来ると、本当に困る

小澤がブルックナーを振った時にあるコンサートマスターは、その指揮ぶりをこう見た。
私は小澤さんが曲の細部で『こうだ』と確信を持てなかった箇所が六ヶ所あったような気がします。知らんふりをして、解っているような顔をして、指揮者は普通ならやり過ごしてしまうものなんですが、小澤さんは音楽に対して誠実だし、正直な人でしょう。だから、その箇所に来ると、迷いが表情に出てしまう。ぼくはそんな小澤さんが大好きなんですけれど、ヨーロッパのオケとやるとなったら、さぞ大変なんでしょうね


この一音一音、細部にわたる理想のイメージを「頭の中で作り上げる」ために指揮者はどれだけ勉強せねばならないのか。小澤は、スコアを見た時に、どれくらいいい音楽が頭の中に作れるか、ということが一番本質的な音楽家としての生活だと語る。

シャルル・ミュンシュの言葉。
倦まず勉強せねばならず、失敗を辞さず出来る限りそれを克服することを学ばねばならない


指揮者とは、勉強したからといってなれるものではないが、一流の指揮者にはある程度共通するところがある。
本書に出てくる指揮者は音楽史からみればかなり限定されてはいるが、その一端には触れることが出来るのではないだろうか。
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[ 2016/06/22 00:30 ] Books/音楽 | TB(0) | CM(0)

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