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吉野朔実への個人的な追悼

東日本から東北に大地震が発生した後、多くの人と同じように僕も混乱した。
その時に考え方の指標を求めて、知識人たちの発言を追いかけていたが、
一番欲しかった、とまでは言わないが、何か言ってくれないかな、と心の奥底では強く期待していた日高六郎の言葉はなかった。
どれだけの偉人であっても当時すでに90歳を越えているのだから、
もう知的作業に関われなかったとしてもやむをえまい、と今でこそ分かるが、
当時はそこに手がかりのような何かを求めていた。
最晩年の吉本隆明は確か新聞に親鸞を引用した短い文章を載せていたが、
晩年の吉本にはさほど魅力を感じないことはさておき、それはいい文章だったという記憶がある。
しかしそれでも、もっと若い世代である僕としては、違う何かが欲しい、と思っていた。

その後しばらくして「95歳のポルトレ」という対談本(聞き手は小説家の黒川創)を読んだ。
それ自体も日高の生涯を語るものとして興味深いものだったが、その後書きにはちょっと思うところがあった。
対談は発刊される数年前に行われていたはずが、少なくとも後書きは震災の後に書かれたものだった。
そこには京都の高齢者施設の一部屋で生活する人生の静かな晩年があった。
(夫人は懐かしい京都の大学が見えるその部屋に、誰も訪ねてくれないことを寂しく思っているようだ)
日高は夫人と二人きり、二部屋を借りて生活しているらしい。
夫人の部屋にはわずかな絵画が残るが、殺風景な空間であるようだった。
著者は訊ねる。「震災についてどう思いますか」
日高は答える。「おそろしいね」

僕は自分を恥ずかしく思った。
そういった人達から得ていたのは、安易な答えだけであって、考え方ではなかった。
即効性のある答えだけをくれると思って、もう十分に生き抜いた人にまですがろうとしていたのかと。
色々なことを教わったと思っていたけれど、本当は何も理解していなかったんだ。


同じように音楽の考え方の話もあった。
僕はSteve Morseという音楽家がいつも自分に答えを見せてくれると思っていた。
しかしそれもまた実に安易なことだった。
Steve Morseは一人でいいし、一人しかいないのだ。
彼が長年の思索を通して示した答えだけを自分のスタイルに都合の良いように植えつけても、それは根をはらない。
いつ頃からかSteve Morseが僕の望むような答えを見せてくれることが少なくなってしまった。
それは加齢による肉体的な衰えが原因だったのかもしれないけれど、僕は勝手に一人苦しんでいた。
Steveがもし弾けなくなってしまったら僕は何を支えにギターを弾けばいいのだろう?
何故、僕がSteveとは違うことを認められないのだろう?


スタイル?

「スタイルのない人生なんてクズよ」

僕は本当にスタイルのない人生を生きていたのだと震災のあとに思い知らされた。
でもそれはもうちょっと早くに気が付いていなくてはいけなかった。
吉野朔実が亡くなった今も、昔考えていたほどにかっこいい生き方は出来ていない。

吉野朔実はいつもかっこよかった。登場人物も皆かっこいいキャラクターばかりだった。
その気高さに距離を感じる人もいたかもしれないけれど、
彼らは傷つきながらも”裸足で歩きだす”ような人間らしさを持っていて、そこにも憧れた。

背伸びしようとする気持ちをすくいとってくれると同時に、素直な感情表現もあった。
心の奥底にどろどろと蠢く仄暗い部分と闘いながらも、反対に意図しない単純な善意によって傷つきもした。
ドライだとも言われるが、そうだろうか。ウェットな部分も多かった。
ひりひりと焼け付くような人間関係、ミナトの壊れそうな繊細さ、四年一組の楽しくも問題多き学校生活。
何度読んでも心の温まるシーンといえば、「いいヤカンだよ!」。大好きなところだ。
(Jeff BeckのLPレコードを売っていたり、クラスターを聞いていたり音楽好きはニヤリ)

そして希望。
「少年は荒野をめざす」のラストシーンを絶望から生じた真の希望でなくてなんと呼ぼう。
ミナトの側で沈み込む蛍のもとへと駆けつける下田さん(と日の丸)、そして小夏の存在こそがあらゆる物語の最上の希望だ。

三木清は言った。
”自分に依るのではなくどこまでも他から与えられるものである故に私はそれを失うことができないのである”と。
自己を放棄することは絶望であるが、絶望からこそ真の希望が生まれる。
それは己の中から生まれ、他人との関係のなかにある。
母親の自己に取り込まれて、これを築けなかったミナトの不幸は何度読んでも涙が出る。
深い愛の孤独。孤独から生まれる愛。孤独を救うことのない愛。


自分が自分であるための方法として、吉野朔実は懐疑することを教えてくれたが、
僕はいつの間にか懐疑する力を失っていたのかもしれないし、
そもそも虚栄から独断だけを重ねるばかりで、
懐疑する方法を未だに身につけていなかったのかもしれない。
気高い懐疑、節度のある懐疑。

そういった方法論は描かれるキャラクターが小学生であっても一貫していたので、
時に厳しすぎると言われることもあっただろうが、しかしそれがまさに明日の自由を作り出す技術なのだ。

「節度ある懐疑」
これこそが吉野朔実の最大の技術だと僕は思うが、
百人読めば百通りの印象が(必然的に)生まれる作家だ。他の読者の意見と違うかもしれない。
「個人的な意見でいい」
こういう(個人的な)言葉を付け加えてもいい。――”あなたはどう思いますか?”

さて、彼女はあらゆる登場人物に懐疑する力を求めた。
時に彼らは極端に懐疑しすぎて、小さな、または大きな間違いを犯す。
そのキャラクターの人間としての弱さに自らを重ね、苦難を乗り越えていく様を見て、
無謀にも外見や台詞だけでもと真似してみたりしたものだが、
しかし僕ら読者は、彼らを見守る存在も同時に思い出すことが出来る。

「Happy Age」のオーガスタス
「少年は荒野をめざす」の日夏さん
「月下の一群」の清村さんや坂本先生
「天使の声」の女子高生(名前あるのかな?)

「Period」では誰からも見守られなかった子供たちを
絶望スレスレにまで追い込むように描いた作家の(今のところ)最後の作品「いつか緑の花束に」が、
思春期の少年少女を守護霊が見守っているという本当にキュートな小品であったことには運命の不思議を感じる。
(フラワーズに掲載されたその一つ前の短編では”見守る”という行為の裏の面も描かれていた)

気付いたら戦いは始まっていて、そして降りることのできないような世界だ。
その過程で、日夏さんに出会える人のほうが少ない世の中だっただろう。
子供が育っただけと笑ってくれるような人はあまりいない(時々、現実世界にもいる)。
でも彼女の漫画を机の、いつも手に取れるような距離に置いておくことで、
僕は少なくともこの歳まで生き続けることが出来た。
文字通り子供が育っただけのようなのは確かだけれど、なんとかまだ生きている。
でもまだかっこつけて生きるほどではない。


僕は吉野朔実を読みすぎたあまり、あらゆる個人的な問題の答えをそこに求めすぎていたのかもしれない。
あまりにも作品を便利に扱い過ぎて、作品に真摯に向き合い、
その声を聴くことを忘れていたことに、作者が亡くなってから気付くなんて。
結局、震災の時から何も成長していなかったことはとても辛い。


改めて思う。
スタイルを手に入れよう。そのために動き続けよう。
世界の果てにたどり着いたその時は、もう吉野朔実(の真似事)とは似ていないだろう。
(同じように僕がギターを弾く時には、Steve Morseには似ないだろう。……似ているはずもないのだが)
気が向いたら(本当はいつだって向いているけれど)、戻ってこよう。思い出すことにしよう。

今日よりも明日、明日の自分が何をするのか、自分でみてみることだ。
吉野朔実はその点において悲観主義ではなかったが、それは今日の辛さを誰よりも理解していたからだ。


漫画作品だけでなく、エッセイにおいても様々なことを教えてくれた。
彼女はもうこの世には無いが、なお光彩を放つものはあるのだ。
本棚にも。胸の中にも。
そして光彩がつなげてくれた人々もいる。
僕はそれを忘れずにいようと思う。

同じ夢を見た、と勝手に思っている。見させてもらっていた。
会わなければよかったと思ったことは一度もないが、
見させてもらっているだけでは駄目だった。
夢からは覚めたはずだ。
だから今は荒野を走ろう。



吉野先生、僕はあなたにいいたいことがある。

「そちらでグールドの演奏はどうですか?もしかしたら……握手は出来ましたか?ロリン・マゼールにはまだ会えませんか?」

いや、それはとても一言では言い尽くせないし、言葉にするのは難しいので、
不器用にもこんなに長くなってしまった。
まったくスタイルに欠けている。……今は。
季節の風が吹くごとに少しずつ話すのもいいだろうが、
もしそれをあえて一言にするのならば、今日だけは月並みであることをお許し頂きたい。

「ありがとうございました、そしてお疲れ様でした」
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[ 2016/05/05 00:00 ] Comics/吉野朔実 | TB(0) | CM(0)

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