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「紙屋高雪 - ”町内会”は義務ですか?~コミュニティと自由の実践~(2014)」

著者: 紙屋高雪
タイトル: ”町内会”は義務ですか?~コミュニティと自由の実践~
発行: 2014(小学館)

著者の紙屋さんはブロガー、twitter界隈では著名な漫画評論家で、それから家庭に軸足を置いた働き方をしながら地域に根差した活動もしている方です(特に吉野朔実の評とかは結構興味深く読みました)。
今はブログ形式で評論や発言を続けていますが(昔の評論サイトも残っています)、そのエントリー(記事)から発展して、特に「町内会」の活動について、一冊の新書にまとまったのがこちら。紙屋さんが実際に団地の自治会長を引き受けた経験から書かれたものです。

タイトルの通りの町内会に関する内容がもちろんメインなのですが、それに加えて著者もあらかじめ前書きに書いているようにこの本は町内会の活動について悩みを抱えている人のみならず、一つのコミュニティの中でがんじがらめになって苦しさを感じている人にも読む価値がありそうです。
まずタイトルの問いかけに答えるとするなら、「No」であり、その必要は無い、ということになります。町内会の実態はかなり様々で地域によって違いが多いようですので、この本の内容はあくまで著者の個人的なものとして読む必要はありますが、それ以前にまず加入は強制ではなく、任意のものである、ということは知られるべきだと思います。

以下追記が続きます↓。

まず町内会自体の立場(役割とか責務とかでなく)について本書の終章から結論を持ちだすならば、”町内会でやれることはボランティアであり、あくまで必要最小限に対する「プラスアルファ」でしかないのです。あった方がいいけど、なくても仕方ない、というものです”。
それから著者はそれに対して「行政」の責任と役割を強調する。たとえば「街灯、防犯灯を設置すること」は町内会の仕事だろうか?これは行政、税金を使ってやるべきことではないのか?と。実際は”町内会費を入れて設置や電気代を出しているところがほとんど”のようだが、”必要なインフラなんだから、税金でやればいいじゃん”という著者の主張に賛成する。

このように著者は町内会の仕事として捉えられてきたことをそぎ落としていくことを提案する。何故かというと、そうしないと仕事との両立なんてとてもじゃないが不可能だからだ。人間関係そのものの問題もあるが、まさにそれを含めて町内会の仕事には人と人との交流を前提にした作業が多いので、考えることがあまりにも多すぎるから。……といってもそれは後半で見えてくる一つの現実的な理想の姿。

その前にまず実際の、現実の町内会の仕事、人間関係が目の前にある。それにまつわる加入の申し込みとかは(苦々しく)覚えている人もいると思う。会議になってもいい加減に話が進まなかったり、そもそも外から見ると何をやっているのかよく分からなかったり…。

難しいところは、ある意味ではそういうダラダラした雰囲気にもコミュニティとしての一つの意義があって、共助に繋がる面もあるということ。そしてそれで上手くいく場合も多々あること。それは著者も理解は示しているのだが、コミュニティというものは必然的に多種多様な人が集まるものだから、個人個人の立場や生活によってどうしても出来ないこと、というのは存在する。

ここで著者は苦々しい思い出話に入る。ある案件について著者が幹事としてどうしても参加出来ないことを伝えた時に、会議のあとに大勢(というか著者曰く”ラスボス”と手下共)からめちゃくちゃにつるし上げを食らう。何故そうなったかは本書を読んでもらうとして、一つには町内会が、組織として行政の末端であることを意識しすぎて、その理想と規約によってそれにそぐわない意見を受け入れられなくなったことが挙げられる。しかしこれを正攻法に内側から解決しようとすると、もはや文字通りラスボスに突っ込んでいくようなものなので、それは普通の人にはあまりにも負担が大きいし、精神を病んでしまう可能性すらある。
大事なのは、話(理屈)の通じない人が時にコミュニティに君臨しているケースもある中で、参加する人がどうしても嫌な気持ちになり、それをずっと持ち続けたまま参加せざるを得ないという心の問題。仕事でも嫌な気持ちになることはあるけれど、給料という形で一応は解消されるところも無くはない。しかし町内会というのはそもそも家庭や仕事に重大な悪影響を与えてまで維持していくべきものなのだろうか

文字通り疲れ果ててしまった著者は後半で「ゆるゆるの、ミニマムな、新町内会」を提案する。
これも詳細は読んでもらうとして、要点は「会費無し、義務無し、手当無しの完全ボランティア」であり、「気軽に参加できて、気軽に断れる」こと。何にしても”言われたほうはちょっとこたえます。言うほうもいやです。依頼には気持ちよくこたえたい”。
だからこそ、”しかし、どこまでが自発的に協力できる範囲かを、お互いにきっちりラインが引けるようになる”ことを目指したのだ。
この規模で出来ることは限られている。この著者の町内会では夏祭りと餅つきくらいしかやっていないそうだが、しかしそれでいいのではないか?さて、その規模の町内会を保っていくとして、その目指すべきポイントは何になるのか。

著者は町内会の意義を基本的に認めているし、それを生き残らせていくことに価値を見出している。地域の運動会や、大規模な防災訓練のような仰々しいものではなく、ちょっとした会話のきっかけ、会釈、簡単な情報交換、少しばかりの助け合いくらいが今の時代にちょうど良いサイズなのだと。そのためにどのようなリニューアルをすれば、負担無くつながっていけるか、ということを考える。それは行政には出来ない分野、手法として、”コミュニティとしての意識を高めていけるし、それによって(結果的に)災害時にも役立つだろう”。
賛否両論はあるだろうが、町内会に積極的に関わっていない人であっても、自分のなかで噛み砕いて置き換えながら想像する価値のある本だと思う。
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[ 2015/12/27 00:00 ] Books | TB(0) | CM(0)

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