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西谷 史 - Digital Devil Story 女神転生(シリーズ) 愛蔵版(2005~2006)

著者:西谷 史
発行:オリジナル版(1986~1993年) 愛蔵版(2005~2006年)
wikipediaでの項目:デジタル・デビル・ストーリー

まさか2014年になって女神転生の小説を読むとは思わなかった。もちろんそれがある事は知っていたけれども、今まで縁が無かった。これは復刊ドットコムからの「完全愛蔵版」であり、元々の作品から大幅な加筆があるそうなので、オリジナルとの印象は違うかもしれない。復刊されたのも2005年なのだから、これも随分前の事だ。一度携帯小説として2004年にも配信されている。どれだけの修正がされているのか分からないのだが、80年代らしい雰囲気が、ある、というより、残る、という感じなので、細かい言葉などは相当修正されているような気がする。ゲームに愛着のある人ならば、必読だと思う。80年代半ばに”悪魔をデジタル化する”なんて発想を得た著者に改めて感銘を受ける…のだが、物語後半はそのようなゲーム的な”デジタルっぽさ”からは大きく離れて伝奇ものへと発展していく。
「女神転生」シリーズとは、日本のRPGを代表するタイトルだと思われているが、もともとは西谷史による小説「デジタル・デビル・ストーリー(1986年)」が始まりだった。…という事も予備知識としては知っていたが、実際には僕はほとんどゲームでしかその世界観を知らなかったし、そういう人は多いと思う。例えば、FCよりも、SFCとかPSが初めてのゲーム機でした、くらいの世代には…。
そもそも現在一般に女神転生とされるシリーズは「真・女神転生」の事であり、この小説を原作とした「女神転生」シリーズとは別物である。とはいえ現在よほど注意して使われなければ「メガテン」とは「真・女神転生」だと理解してしまうし、僕も普段はそう使ってしまう。一応女神転生シリーズのファンではあるが、神話的な裏話には全く通じていないのでご容赦下さいませ。ついでにスタッフ間の裏話もほとんど聞いていない。音楽を担当していた増子司のファンであるという事くらいである。

挿絵はアニメーターの北爪宏幸であり、その後の金子一馬のイメージとはかなり違う。金子一馬のイラストからは90年代の印象がするが、北爪のイラストは80年代の香りというより、むしろアニメファン的には80年代を決定づけたその人という感想がある。僕は80年代の文化はよく知らないので、結局僕の乏しい知識ではZガンダムから逆襲のシャア等々の印象、という事になる。原画が紛失している事もあり多くの挿絵は収録されていないようだが、この描き下ろしイラストでは、CDA等々のデジタル作画(なんかこの場合ギャグっぽい言い方…)の雰囲気。白黒のイラストでは解像度が低いのかもしれないが、雰囲気はある。

wikipediaによると、「全9作の売り上げは80万部を超えた」とあるので、結構な売れ行きだったのだろうか。元々ゲームはメディアミックスの一つに過ぎなかったので、小説を追うようにしてOVAも作られたようだ。これは未見。音楽が難波弘之、作画監督が恩田尚之、監督が西久保瑞穂、と並ぶのには、ほうほう、という感じ。決して評判が良いわけではないようだが、いつか見てみよう。



愛蔵版では、全9部作を、三巻にまとめられている。3、3、3であるが、話としては、はじめの3と後半の6で分けてしまいたい。というのも、後半の6は話を大きくし過ぎて少しまとまりを欠く。描かれないキャラクターもどんどん増えていって、収拾がつかなくなってしまっている。しかし後につながるような大胆な設定、体系はむしろ後半に現れるので、女神転生に馴染みのある人ならばむしろ熱くなってくるのではないか。より正確には、2・1・6、と分けて味わってもいい。特に第三作目は九部作の中でも最も女神転生的な思想があると感じる。
はじめの3作は、東京での、ロキセトとの闘いが主になる。二人の主人公、中島朱実白鷺弓子は、イザナギ、イザナミの現代に転生した姿である。高校生にして天才プログラマーであった中島は魔術とコンピュータプログラムの相似に気付き、それを発展させるのだが、自ら呼び出した悪魔ロキとの契約に失敗し、悪魔を野に放つという致命的なミスを犯す。そこから悪魔との長い戦いが始まるのだった。
(吉野朔実の例があるので、美と実の違いには気を付けよう…)
それからツクヨミが転生したキャラクターもいるのだが、ここは描写が少なくて勿体なかった。もっと活かせたのではないかなと。
ある意味で、これが女神転生である事を強く感じさせるのは、第三作目である。第二作目で二人の主人公は最強の敵セトを打ち破るのだが、それが毎度お馴染み、魔王ルシファーを呼び寄せる事になる(ルイ・サイファーは特に関係ない)。そして中島はルシファーの策略の中、自らが生み出した悪魔のツケを払う事になり、病んでしまった彼は、なんと弓子(の身体を借りた(支配した)イザナミ)の手によって殺されるという、カミーユか冨野御大かというような結末。
ここでは脚本の細かな積み重ねよりも、(現実の要素を少し極端にした方向性を提示して)価値観を揺さぶる、というメガテンらしい特性が見える。メガテン的に言うと、Light-LawDark-Lawはどう違って人間社会でどう作用するのか、と言えるだろうか。第三作目は登場人物や組織が増えて説明しきれないが、主人公が個人として社会に影響を及ぼしたあとの大衆の反動等々が描かれている。正直ちょっとクドくて、やりすぎな感じも受けるが、人それぞれか。


物語の後半、四作目からは、主人公が代わり、北明日香と、木戸礼子の二人となる…のはいいのだが、この後プロットはどんどん膨らみ、結局この二人の影は薄くなってしまう。代わりにルシファーに付き従うサンジェルマンことイスカリオテのユダと、黄泉の国に封印されていたなんと崇徳上皇が存在感を増す。ここからアメリカが絡み、ロシアと中国等々が少し絡んでくると語り口の粗が目立ってくる。しかし設定のダイナミズムは際立つ。これは後々ゲームの中で生きてくるようにも感じられるが、ゲーム製作者がどれだけ意識していたのかは分からない。
特にアメリカの描写は社会問題に切り込む姿勢はいいが、いくらなんでも通俗的だと思う(これは刊行からの時の長さを思えば今では仕方のない問題かもしれないが)。いきなり天使ガブリエルがサックスを吹き始めるところなど。画を想像するとちょっと面白いが。アメリカの描写からエンディングにまでつながるシークエンスが始まるので、そこは不満が残る。実際、著者はこの時点で崇徳上皇に最も入れ込んでいたようで、それが物語としてのバランスを崩壊させている。しかし崇徳上皇が日本を滅ぼそうとし、日本と共に自滅しようとする行動を、ルシファーが自らの理性をぎりぎりのところで保ちつつ東京を守ろうとするあたりには(相当な理不尽さと呆れを感じつつも、何故か)確かに興奮がある。そして小説の終わり方は残念ながら評価をするのも厳しい。想像だがここは明確に加筆部分だろう。


さて、この小説では主人公中島朱実は天才プログラマであるので、(しつこいようだが)ここにはSteven等々は出てこない。
主人公は学校で理不尽ないじめにあい、その復讐のために悪魔を呼ぶ、という経緯である。陰湿な意味で復讐する、というより天才型で繊細な彼には、悪魔を呼びだす技術を生み出す事は出来ても、そもそも悪魔を使って何かをするという明確な目的が無かったと書かれている。しかしそれではどちらにしても彼は恐らく全ての悪魔召喚の元凶となっていた予感もする。この辺、ルシファーにはいずれ地球も、という野望があったようだし、その後のシリーズでもStevenは、混乱を呼ぶ事を承知しており、しかし畢竟、悪魔は来るのだから闘う力を持つものにはその役割を果たしてほしいという願いがあったようだし…という事で必ずしも中島が全てを負うものではないかもしれないが、何にしてもいきなり復讐をこなしてしまったのは罪深いキャラクターだった。素手で人が殺されるところを見届けるような主人公を擁護するのは難しい。
平然と殺人を見届けながらの復讐とかいうとカオスヒーロー的だし、愛に生きるところはほんのちょっとロウヒーローっぽいところもあったけれども、しかしそのような明確な方向性を持たない優秀さ、不安定な天才性を警戒するのは、実にロウらしいので、もしかしたら中島は最も不幸な道を歩んだニュートラルヒーロー、Neutral-Chaosということなのだろうか。第二部の後半には自らの力の使い方に迷い始めるのだが(答えを捜す時間は既に無く)、やはりここもややChaos寄りの選択肢と言えそう。

冒頭で書いた通りこの小説が、その後の別物としての女神転生シリーズ全てとどれだけ共通点があって、どれだけ違うのか、という事を言っても仕方がない面もあるが、もっと本質的なところに迫れたら…という気持ちもある。他のシリーズをそう熟知しているわけでもないが、それはいずれ機会があれば。


第一期主人公の中島には、前述の通り精神的にはやや幼く、そして年相応に激しく揺れ動くところがある。それは中盤以降主人公の座を引き継ぐ北明日香も同じだ。怒りと憎しみが違うということを思い出す。怒りは瞬間的で、憎しみは永続的だ。ルシファーは(さほど)怒らない。神は怒る(という選択肢がある)。崇徳は憎む。白鷺弓子は静かな憎しみにとらわれて我を失っていく。

更に引用。三木清の人生論ノートである。「愛は統一であり、融合であり、連続である。怒は分離であり、独立であり、非連続である。神の怒を考えることなしに神の愛と人間的な愛との区別を考え得るであろうか。~中略~。神でさえ自己が独立の人格であることを怒によって示さねばならなかった。~~~。怒において人間は無意識的にせよ自己が個人であること、独立の人格であることを示そうとするのである。~~~。怒にはどこか貴族主義的なところがある。善い意味においても、悪い意味においても。孤独の何たるかを知っている人のみが真に怒ることを知っている。」

(ゲームとしての)女神転生ではルシファーは決して単純な悪役では無いし、何が悪役かも簡単には決められないところに魅力があるのだが、この小説でもルシファーにある種の魅力があるのが特に面白いと思った(北爪流イケメンという事もあるし)。


とりあえず今日はこの辺で。
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[ 2015/03/09 23:00 ] Books | TB(0) | CM(0)

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